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【北関東怪奇伝説 まとめ読み】あの真田家が拷問、そして寺の庫裏に現われる枕返しの幽霊の正体は…背筋も凍る伝説の数々  [日本の歴史を考える]

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2016.10.15 01:00

【北関東怪奇伝説 まとめ読み】あの真田家が拷問、そして寺の庫裏に現われる枕返しの幽霊の正体は…背筋も凍る伝説の数々 

観光アヤメ園に置かれている河童の像=茨城県牛久市城中町

 北関東には知る人ぞ知る怪奇伝説が残っています。小豆を研ぐ音がする観音堂、謎の小野小町伝説やダイダラボウ伝説、1幅の掛け軸をめぐる幽霊話、拷問していた真田家の残虐史…。暑気払いの人気企画「北関東怪奇伝説」では、北関東の支局記者が各地で掘り起こした背筋も凍る伝説の数々を紹介しています。季節は秋ですが、人気連載計9本は、下記からご覧ください。

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【戦後71年 楠木正成考<第4部>】倒幕(2)「公」を忘れた日本人へ 鮮やか速攻 幕府軍を翻弄 [日本の歴史を考える]

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2016.9.16 16:00

【戦後71年 楠木正成考<第4部>】倒幕(2)「公」を忘れた日本人へ 鮮やか速攻 幕府軍を翻弄

正成が幕府軍を破った四天王寺付近=大阪市天王寺区(本社から、恵守乾撮影

 〈大楠公、湯浅定仏(じょうぶつ)を破り下赤坂城を奪還す〉

 挙兵から1カ月で楠木正成が、鎌倉幕府が河内に置いた地頭(じとう)を破ったことを、湊川神社(神戸市)発行の『大楠公』は記す。勝因はここでも奇策だった。

 城に兵糧を運ぶ敵勢を討って手勢の一部に成り代わらせ、それを楠木勢が追って見せた。定仏が味方と信じて城内に入れると、兵糧部隊は俵に隠した武具で蜂起し、定仏はなすすべなく降伏した。

 ここからの快進撃は東福寺の僧侶、良覚の筆とされる『楠木合戦注文』に詳述されている。

 〈一月一四日、河内野田の地頭を追ひ、池尻を略し、河内守護代を攻めて丹下入道を追ひ、和泉守護を破る〉

 〈一月一五日、陶器(とうき)左衛生門尉、中田、橘上(たちばなのうえ)等の地頭を遂(お)ふ〉

 わずか2日で河内、和泉の地頭や御家人を一掃した戦果を『太平記』はこう評する。

 〈和泉、河内の両国を推すに(押し寄せると)、靡(なび)かずと云ふ者一人もなし〉

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【戦後71年 楠木正成考<第4部>】倒幕(1)「公」を忘れた日本人へ 親王の「命令」背に再び挙兵 [日本の歴史を考える]

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2016.9.15 16:00

【戦後71年 楠木正成考<第4部>】倒幕(1)「公」を忘れた日本人へ 親王の「命令」背に再び挙兵

千年以上の歴史を持つ天野山金剛寺。挙兵にあたって正成が頼りにした=大阪府河内長野市(恵守乾撮影

 <九月、大塔宮(おおとうみや)吉野愛染宝塔に拠り、大楠公金剛山に拠る>

 楠木正成を祭る湊川神社(神戸市)発行の『大楠公』は、元弘2(1332)年のこととして、こう書く。

 鎌倉幕府の大軍の前に、笠置山で後醍醐天皇が敗れ、下赤坂城で正成が敗走してから約11カ月。天皇の皇子である護良(もりよし)親王と正成が再び、倒幕の兵を挙げたのである。

 金剛山の峻厳を頼んで挙兵した正成がもう一つ、頼りにしたのが天野山(あまのさん)金剛寺(大阪府河内長野市)だ。真言宗御室(おむろ)派大本山で、正成が度々、文書を送ったことが、金剛寺文書や『大楠公』に書かれている。

 〈大楠公、金剛寺三綱の祈祷巻数(きとうかんず)を贈ったのを答謝する〉

 〈大楠公、金剛寺衆徒に牒(ちょう)し、幕府軍の侵入に備えしめ、かつ祈祷を嘱する〉

 巻数とはお札のこと。正成が同寺に、戦勝祈願を何度も依頼し、衆徒の軍事力に期待をかけていたことがわかる。

 「正成が勝つためには、経済力や軍事力、情報源を持つ金剛寺を味方につけることが必要だったのです」

 河内長野市立図書館地域文化遺産啓発専門員の尾谷雅彦氏はそう話す。

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タグ:楠木正成考
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【戦後71年 楠木正成考<第3部>】挙兵前夜(2)「公」を忘れた日本人へ 鳴り響く武名 勢力拡大 [日本の歴史を考える]

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2016.8.18 10:00

【戦後71年 楠木正成考<第3部>】挙兵前夜(2)「公」を忘れた日本人へ 鳴り響く武名 勢力拡大

千早赤阪村上空から望む金剛山方向。正成の勢力はここから四隣に及んだ =大阪府千早赤阪村(本社ヘリから、恵守乾撮影  

▼(1)非御家人や悪党ではなく「武家」…から続く

 〈元亨(げんこう)二年四月、大楠公、摂津渡辺右衛門尉・紀伊安田(保田)庄司・大和越智(おち)四郎を討伐〉

 湊川神社(神戸市)発行の『大楠公』は、楠木正成が越智邦永を討った後もなお、鎌倉幕府に反抗する勢力討伐に尽力したことを記す。元亨2年は1322年。正成が邦永を討って6年後、正成が数え29歳の年である。

 〈高時、河内国の住人、楠正成をして之を撃ち平けしむ〉

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【難読地名を行く-茨城編】湿地が由来?水害の過去も 取手市小浮気(こぶけ) [日本の歴史を考える]

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2016.5.8 14:00

【難読地名を行く-茨城編】湿地が由来?水害の過去も 取手市小浮気(こぶけ)

小貝川の氾濫によってホームの上まで冠水した国鉄藤代駅=昭和25年8月(取手市埋蔵文化財センター提供)

 茨城県取手市宮和田にあるJR常磐線の藤代駅から国道6号を西に約2キロ。バイパスと交わる付近の田園地帯は、「小浮気」と書いて「こぶけ」と読む。取手市の大字だ。どのような由来があるのだろうか。

 取手市に合併する前の藤代町が編集した「藤代町史」には、以下のように書かれている

 「地名の『ふけ』とは、深田とか沼沢地を意味し、後背湿地である

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●之が真実の日本の現近代史・・ [日本の歴史を考える]

誇り~ 伝えよう この日本のあゆみ ~  

>戦後教育では教えず。

 反日マスコミも当然語らず。

 有識者、憲法学者の大半が語らず。

 そうして、戦後70年が無意味に過ぎ去った。

 その間に伝統日本が失ったものは数知れず、此の侭では日本は滅ぶ

 伝統、文化、歴史を失えば残るは日本列島のみ、日本民族はいなくなる。


タグ:大東亜戦争
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